思考垂れ流しの元凶! 四苦八苦をどうコントロールするか?
思考のクセは、これがベースにあるのかもしれない
生きているだけで味わう苦しみ
誰にでもあるものとして説かれています。
仏教で言われる「四苦八苦」です(^_^)
ホンマ~?
と言うことで
「四苦八苦」とは?
根本的なドゥッカを生・老・病・死(しょう・ろう・びょう・し)の四苦とし
- 生苦(jāti dukkha)[1] – 生まれることに起因する苦しみ。
- 老苦(jarāpi dukkha)[1] – 老いていくことに起因する苦しみ。体力、気力など全てが衰退していき自由が利かなくなる。
- 病苦(byādhipi dukkha)[1] – 様々な病気があり、痛みや苦しみに悩まされる仏教問題。
- 死苦(maraṇampi dukkha)[1] – 死ぬことへの恐怖、その先の不安などの自覚。
根本的な四つの苦に加え、
- 愛別離苦(あいべつりく、appiyehi dukkha)[1] – 愛する者と別離すること
- 怨憎会苦(おんぞうえく、piyehi dukkha)[1] – 怨み憎んでいる者に会うこと
- 求不得苦(ぐふとくく、yampiccha dukkha)[1] – 求める物が得られないこと
- 五蘊盛苦(ごうんじょうく) – 五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならないこと
の四つの苦を合わせて八苦と呼ぶ。
↑ここに馴染みのない言葉が出てきました。
「五蘊盛苦」とは?
五つの要素(五蘊)、つまり色・受・想・行・識(身体・感覚・概念・心で決めたこと・記憶)のそれぞれに執着することが苦しみと説いているのであり、この五つの要素そのものが苦だと説いているわけではない。
自分自身が生きている(心身の活動をしている)だけで苦しみが次から次へと湧き上がってくることであり、五蘊とは以下の五つを指す。
ぶっちゃけ「苦」とは
ザックリ言っちゃえば
何らかに
執着!!!
している(する)から、苦しくなるってことになります。
つまり、苦しみが生まれる。
四苦八苦の意味を改めて知り、俯瞰して眺めてみると・・・
思考の問題ばっかりです(^_^;)
そこには「諸行無常」が抜け落ちていることがほとんどです。
「諸行無常」とは?
この世の現実存在(森羅万象)はすべて、すがたも本質も常に流動変化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができないことをいう。「諸行」とは因縁によって起こるこの世の現象(サンカーラ)を指し、「無常」とは一切は常に変化し、不変のものはない(アニッチャ)という意味[2]。
これを「有常」や「常」に
・位置付ける
・変化を嫌う
・現状維持
・永遠を追求する
からこそ
「執着」
・に、なる
・が、発生する
と言うことになります。
言葉にしてみるとシンプルすぎる(^_^;)
観念、信念、決めつけ、思い込み、マイルール、価値観、自分の常識
なんてのも「執着」から出来上がっていますよね?
何に「執着」しているのか???
ここが明らかになると・・・・
ってか、何に執着しているのか自分で分かっていないことがほとんどです。
だからこそ、そこを明らかにしてあげる。
自身の偏った物の見方、視点、間違った方向性、狭い視野や認識などに気付く。
思考のクセ
これも執着だと言えます( ̄∇ ̄)
諸行無常を無視している or 拒否
自分を変えようとせず、現実を変えようとするってのも同義です。
根源修正や思考の修正
どちらにおいても
固定し、結晶化したいらないものばかり。
結晶化 = 定着 = 習慣
↑病気やいつもどこかが不調や症状があるなどが顕著な例えやね!
あとトラブル、問題、悩まされること
なんてのも
「執着」している何かを「キープ」させようとするから
「執着」が邪魔して不調が起こる。
いらんことせんかったら調和が取れるってこと(^_^;)
思考垂れ流しなんて「キープ」そのものです。
・自分の頭を使って考える、俯瞰、内観
・五感でありのままの現実を見る
↑これをやっていないから(手付かず・現実逃避)
「執着」を「執着」のまま存在させ続けてしまうわけです。
だから「四苦八苦」する( ̄∇ ̄)
まぁ、いっか♪
これが増えれば楽になる。
この心境になれば調和が取れる。
ぶっちゃけ「執着」って
なんかから逃げてるねん(^_^;)