根源・思考修正とは、認知の歪みを正してあげること
思い込みが激しいと、それだけ認知の歪みも強烈
自分のフィルターを通して
見たまんま、聞いたまんま、感じたまんま・・・
ここから出てくる答えは
視野の狭さ、1部や部分的な側面だけといった
バイアスのかかった偏ったもの
なので認知の歪みが発生してきます。
(自分を中心に置いて軸にした視点)
現実をありのままに
五感で純粋に
見たまんま、聞いたまんま、感じたまんま・・・
1部だけでなく、全体や全てから総合判断をする
ここから出てくる答えは
事実に基づいた認知!
(自分だけでなく全体にも軸を置いた視点)
自分のフィルターを通すって
危険行為
自殺行為
です(^^;)
判定基準が自分ということなので
自分のフィルターを通して解釈したものが
正しい現実と認識してしまうわけですよね?
自分がそう思ったんだから
自分の目にはそう映ったのだから
これはこれで、自分の現実では真実にはなるけれど
抜け落ちた情報があれば、あるほど
自分にとってためにならない思い込みの強化をしてしまったり
自分を傷つける解釈に繋がったり
自分を苦しめる足かせにもなってきます(^_^;)
場合によっては、都合の良い解釈が仇となって
上手くいかない、失敗の原因の連続となることだってあります。
ありのままを認め受け入れた方がいいのに
希望的観測だけを抜粋してポジティブに捉えるなど・・・
↑恋愛や復縁で顕著ですよね?
根源修正の場合で見ていきましょう♪
ある人の父親の根源のエピソードです。
子どもの頃のイヤな記憶、印象的な記憶として残っているのが
単身赴任をしている父親が帰省してくるとき
必ず家族や親戚総出で映画を観に行くのが恒例行事。
映画が上映されはじめると、いつも寝ていた父親。
「この人なんでいつも寝るの?」
(映画を観に来て寝るとかありえない)
または
「本当のお父さんなんだろうか?」
(久しぶりに子どもと会ったのに、寝るとか本当の父親ならしないはず)
こんな思い込みを持っていたわけです。
因みに記憶のある幼少期から1度も「お父さん」と呼んだことがない(^_^;)
母親に対しても「お母さん」と呼んだことがない。
時代は古く、汽車や夜行列車の時代の話(^^)/
↑ココには事実がスッポリと抜け落ちていました( ̄∇ ̄)
・仕事を終えたその足で汽車に乗り込み、何時間もかけそのまま帰ってきた
・子どもたちに早く会いたいから、疲れていても休憩も休息も取らなかった
・子どもたちとの限られた時間を少しでも一緒に過ごそうとしていた
・映画は自分たちが観たいものだった
これを記憶とミックスして俯瞰してみると
思い込んでいた記憶が真実ではなかった事が理解出来ます。
父親の愛情
↑受け取り損ねていたコレに気付けたわけです(笑)
この後、どうなったか?
父親が色々と自分のためにしてくれていた事を思い出し
言わずもがな・・・なのですが号泣です(^_^)
「お父さんって呼んだらよかった」
「お父さんって呼ばれなくて寂しい思いをさせてしまった」
「素直さのない可愛げのない子どもだった」
↑認知のバイアス(フィルター)が外れると
見えていなかったものが見えてくるわけです♪
イヤな記憶 → 懐かしい良い思い出
(安心感+心の支え)
もうイヤな記憶として、2度と思考に上がってこなくなります(^_^)v
余談ですが、早くに周りの大人に
「本当の父親」なのか
事実確認していれば良かった話です。
本当の父親じゃないと言われたらどうしよう・・・
その恐れや恐怖から
誰にも聞けなかったわけです。
これがベースとなり
「本音を言えない」
「相手が思い通りにならないと激怒してしまう」
「打診が出来ない」
「拒否される前に拒絶してしまう」
などなど、悪いクセが習慣化されてしまっていました。
それもこれも、フィルターが掛かっているので
潜在意識にある心の目で合致・抵触すると
瞬時に悪いクセで自動反応してしまうわけ( ̄∇ ̄)
条件付け、意味付けされているからね!
ここが解除(条件・意味付けを外す)されると
自動反応する理由がなくなります♪
引き寄せの法則にしても
鏡の法則にしても
認知の歪みがあると
腹落ち、腑に落とす、納得する、完璧に理解する
までに至らないのはそれが理由です!
フィルターやバイアスが掛かっている証拠だから。
好きなものには理由がないのも理由になるけど
嫌いなものには必ず認知の歪みがくっついています(笑)
認知の歪みが発生するのって
そもそも論
子ども目線のまま放置されたまま
大人の視点で手直しされていないものばかりです。
のちのちくっついた価値観や思い込みも
子ども目線に大人のうんちくだけが助長されただけ。
または、いらん方向性ばかりに育ててしまったものです。
見たまんま
思ったまんま
感じたまんま
↑幼稚
思い込みが激しいなら
それだけ幼稚さが極まっているということです。
(ためにならない自己擁護説の囚われ)
精神疾患や発達障害なんて正にコレ。
新型うつ病なんで被害者モードMAX(笑)
↑認知に相当な歪みがあるから被害者でいられるおめでた病です。
(断っておきますが、私は新型うつ病経験者であり、人生のどん底を味わったのも幼稚で認知が狂ってたから言える立場だ(笑))
認知の歪みがあると
些細な事で感情が乱され振り回されてしまいます。
心乱されると言うことは
認知の歪みがあるからと言うこと。
(思考垂れ流しも、思考を追いかけるも、イヤな記憶が思い出されて消えないのも一緒)
我に囚われていると
認知の歪みを認めようとしません。
(自分は正しいと思い込んでいるから)
セッションではこの認知の歪みをリセットするお手伝い
これが私の仕事です(^_^)v
思い込みって、勘違いレベルのかわいいものじゃありません!
かわいいものじゃないから、簡単にはなかなか外れないのです。
一筋縄ではいかない。
放置した年数分、結晶化して分厚い壁になっている(^_^;)
それは勘違いではなく、完全なる間違いだからね~。
(だからマインドが出来上がらない、自分の軸からすぐ他人軸になる)
フィルターやバイアスによって色付け、肉付け、盛り付け(大盛り、盛りまくりなんてのもある)
↑されたものが認知の歪み
大げさやオーバー、過剰反応、誇大化、誇張的なものになっています( ̄∇ ̄)
↑特徴
自分の思考、感情、反応に注意を向ければ
疑わしき認知の歪みを捉えることが簡単に出来ます。
このプロセスがあってこそ、次の段階にある
思考・根源修正が出来るようになる♪