毒親を赦す(インナーチャイルドの癒し)のに必要なメタ認知力
親と話が通じない
毒親問題が解決しない理由として一番の原因は
認知の歪みと言われる
フィルター
この影響力が絶大なのです。
どんなフィルターかと言えば
現実的な親像
と
自分が思う親像
との
隔たりが大きい!
ココに気がつけていないってことです( ̄▽ ̄)
要するにギャップを見落としているわけ。
毒親問題による弊害で
アダルトチルドレンになってしまった。
(インナーチャイルドの癒しが必要)
そんなあなたが親を追い越して大人になってしまった。
こちらに限定した話で進めて行きますね(´艸`*)
あなたの方がいつまでも親より子どもである場合は該当しません!
だけど、ギャップという時点では多少は参考になると思います。
その判定基準はコミュニケーションスキルが
親より上か下か!です。
(人から何が言いたいのか分からないと頻繁に言われる、曖昧な言い方をする方が下だと思う)
とにかく
親と話が通じない!
↑これが毒親認定の素であり、インナーチャイルドが傷ついてしまう原因。
同じ言語で母語を使いながらも、言葉によるコミュニケーションが取れない。
(上でも下でも傷つけ合う五行説で言えば相克の関係)
子どもの時からの自分のやり方に固執しているままだから
あなたは親とコミュニケーションが取れないのですが…
そう言った意味ではレベルは親と全く一緒の団栗の背比べです(笑)
(これが最大のフィルターで、親を個人として見れていない状態が引き起こしている)
親を観察していてココで気づくべきは
・共感能力が高いか
・言葉の意味ではなく会話全体を通した理解力があるか
・相手に伝わるように説明が出来ているか
・論点をずらして話をすり替えることが多いと感じる
・まともに話を聞いて答えていると自分が間違っているような気になる
・抽象的な話になるとついてこれるか、抽象的な話を具体的に話しあうことが出来るか
・あれ、それ、これ、普通は、常識ではなど抽象をそのまま言うことが多く具体がない、自分の意見がない
・えー、でも、だって、だから、など言い訳が多い
このあたりがポイントだと思います。
(分かる側にしか分からないポイントですが、双方のレベルもピンキリ)
よくIQが20?30?差があると全く話が通じなくなると言われていますが
頭の善し悪しはIQだけでなく、コミュニケーションはEQも必要。
EQとは大雑把に言うとメタ認知のことです。
メタ認知(メタにんち、英:Metacognition)とは、「メタ(高次の)」という言葉が指すように、自己の認知のあり方に対して、それをさらに認知することである。メタ認知という概念の定義やその活動は分野によって様々であるが、心理療法や認知カウンセリングをはじめ、ものごとや経験に対して正しい理解を行えているかなど、自分の認知行動を正しく知る上で必要な思考のありかたを指すことが一般的である。
参照:ウィキペディアより
社会では会話が成立するのに、親とだけは通じない(;^ω^)
まるで発達障害か宇宙人と話しているような感じが顕著になります。
断っておきますが、私は発達障害に対して差別的な意味を持ち合わせてはいません。
自己擁護出来るのであれば知能に問題があるとは一切認識していないからです。
足りないのはメタ認知(EQ)です。
メタ認知が弱い = 発達障害(自分が主体で主観)
さきほどポイントを列挙しました。
そのポイントで親を見るには見ているけど
親を親としてしか見ていないことに気づいていますか???
↑というのが最大のポイント!
これがフィルターなのですよ(´艸`*)
親を別格扱い、別枠扱いしているという事実。
この事実に気づかない限りはフィルターを外すことは出来ません!
(ココを見事に見逃したまま私も迷走してましたよ~(笑))
親と話せば話すほど虚しくなる。
絶句するたびに傷つきますよね?
それによって
絶望感を味わう
孤立無援な感覚
これだって、親に期待しているから自分が裏切られるのですが
現実的事実から親を俯瞰してみれば
期待しても無駄
期待しても決して得られない
ない物ねだりをしている自分の事実や真実に気づけるんです(笑)
親なら子どもの気持ちを分かってくれる、はず
親なら子どもが一生懸命訴えれば理解してくれる、はず
親なら子どもが本気でぶつかれば受け止めてくれる、はず
↑などなど…
子が当たり前に親から与えられると思っていることが
親は子に当たり前に与えることが出来ない。
ぶっちゃけ親は
親という役割を理解していない親であるということを自覚していない
と言うこと( ̄▽ ̄)
子育ては自分の育て直しのチャンス!
とよく言われるのは
自分のやり方では通用しないということを
子どもが教えてくれているという意味なのですが
試行錯誤、コミュニケーションの取り方、相手の立場に立って考える
など親という立場で有利に欠点を補うチャンスなのです。
鉄板ネタと言ってもいいぐらいのパターンの1つ。
親は自分の育て方が悪かったと、無責任な発言で子どもを傷つけますよね?
これだって、何でそんな発言を誘発したかと言えば
どこで育て方を失敗したのか自覚がないから言えるのです(笑)
もし、振り返ることで一体どの時点で自身が失敗したのか分かっていれば
子どもを傷つけてまでわざわざ聞かせることも言うこともありません(´艸`*)
自分の責任にしたくないのを
上手くすり替えて
子どもに責任転嫁しているに過ぎません(笑)
親はその自覚すらないよ?
でも、自分に非があることは分かっているので
子どもに負い目を負わせることで逃げているんです( ̄▽ ̄)
もう、分かりますよね?
思っている以上に、親は子どもじみている
大人子どもなのだ(笑)
見た目は大人( ー`дー´)キリッ
中身は子ども(´・д・`)ヤダ
大人になり切れていない大人こどもだと言うことです。
(向上心のある未熟者とは違う、全てにおいて決めつけることも出来ないけど)
大人こどもに
大人として対等に話をしても
大人として理解を求めても
む~だ!!!
(心が通い合うわきゃない無駄な努力)
親を大人と決めつけているから
自分の思い通り、期待通りでないことに
腹を立てたり、裏切られたと傷つくのです。
↑ココ重要! 自分が幼稚な証拠
親を自分の思い通りに、期待通りのストーリーを展開するには???
と考えたら、あなたはどんなシナリオと演出を考えますか?
ココがすっぽりと抜け落ちてしまっているのです。
根源を修正するにしても、現実的に行動を変えるのも
どっちもイコールです!
そう言った意味で、あなたが親と同じ問題でトラブルを解消出来ていないのであれば
親もやり方を変えない vs あなたもやり方を変えない
↑同じ穴の狢、同じ土俵で相撲を取る、団栗の背比べ、似たり寄ったり
同レベルでどっちもどっちだということが言えます。
つまり、メタ認知が使えるのに
親を前にすると子どもじみたクセが抜けない大人子どもだと言うこと(笑)
甘えの出る相手の前ではこのパターンをコントロールすることができない。
(親しき中にも礼儀ありを無視するという意味、自己同一化してしまう)
親は自分を映し出す鏡
投影の法則
親と同じことをしていることを
自分が自覚と自己受容出来ていない
そんな心の内側の世界を投影として現実で親から見せられているわけ( ̄▽ ̄)
(ない袖は振れないのに無理やり振らせようとしている、何も出てこん、出すこともできん)
過去に親からされたことやしてもらいたかったこと
これに執着しまくっているから自立出来ないんだけど
下手すりゃ憎しみや恨みになっている人もいると思う。
ところが、親の現実的な実力からいって
端から親に無理難題な要求をしている自分
これに気づいてしまうと執着ってスパッとはずれちゃうんですよ(笑)
(潜在意識って単純~♩)
スパッと執着がはずれるということは、手放し!
執着を手放せば、親も子供に執着していることを手放すわけ。
だって、鏡だから(笑)
親のことを知っているようで一番知らないのが
毒親の子どもなのかもしれない
だから毒子を自覚なくやれてしまうのかも・・・
ココをサクッと自己受容出来てしまえば
高次の視点で親を見ることが出来るので
自分軸で親との関係を展開していくことができます♡
大人子ども~という表現は
上から目線になれ
見下して見ろ
子ども扱いしろ
遜って合わせてやれ
って意味じゃないよ?
親に足りないのはメタ認知なんです。
あなたが理解すべきは
親が気づいていないメタ認知を、親になりきって熟考×把握すること!
メタ認知を親が認識出来るようにあなたが誘導することによって
親はあなたを理解することが出来るようになり
誰よりも理解しようとしてくれるのです。
まずは親を理解しないと理解してもらえませんってことね(´艸`*)
(出したものが返ってくる、先出しすれば何倍にもなって戻ってくる)
うちの母は70歳をとうに過ぎています。
70歳を過ぎればメタ認知を向上させることは
一般論や世間で無理と言われていますが
真っ赤な嘘!
成長するねんで~(笑)
メタ認知の高い人が好むテーマと
現実だけしか見ない人が好むテーマって
めちゃくちゃ開きがあるんです。
例えばテーマをダイエットにするとします。
・体の内側から変えることに重きを置いた選択をする人はメタ認知派
・目に見える体重を減らすことに重きを置いた選択をする人は非メタ認知派
私は前者の話が面白い、母は後者の話が面白い
私は後者の話は次元が低すぎてつまらないし退屈、母は前者の話は分からないからつまらないし退屈
↑お互い話は噛み合いません(笑)
最近の流行りなのか食レポで「優しい味」ってありますよね?
メタ認知派 = 不味い、ボケた味(薄味だけど上品な味とは違う)、食べれなくはないけど食べたいとは思わない味
非メタ認知派 = なんか都合の良いように解釈している、何ならほめ言葉だとすら思っている…優しい味だと言っていれば間違いない、自分は気の利いたコメントや感想を言える意識高い私みたいな勘違い
非メタ認知派には不味いということをオブラートに包んだ言い方をして誤魔化しているのが分からないんです(;^ω^)
テレビの前で堂々と不味いとは言えませんよね~、客足にも店の評判への影響にも責任取れないし・・・
かと言って、食レポを参考にする人を騙すような無責任な発言も出来ない・・・
(不味いのに、美味しいとは言えない、ほめるところがないから欠点をいいように言い換えた表現をしただけ)
こんな隔たりがあるからこそ「話が通じない」が起こるんです。
お互いが言葉の一方通行(笑)
母をメタ認知へと向かわせた話は次回にしたいと思います(*^^)v
引き寄せのインスピレーションとも言えるし、メタ認知による気づきとも言えるような内容です!
ではでは♩