不安を感じるのは自分を軸にしていないから(存在価値・価値観・感覚・判断・基準・評価)
自分らしい自分、自分軸がよく分からない
不安を感じるのと同様に
自分を軸に置かず、他人に軸を置いていると
- 自分らしい自分
- 本当の自分
- 自分の価値
- 自分の価値観
- 自分の感覚
- 自分の基準
- 自分の軸
- 自分の境界線
↑これが分からない病になる。
何がやりたいのか
何が好きで嫌いなのか
何のために生きているのか
こんなことすら自分のことなのに自分で曖昧になります。
これも他人軸が原因です。
悩んでいること
解決したい問題
問題を創りだす
↑間違いなく他人を基準に生きている証拠です。
例えば、お金の問題だとすれば
自分の価値よりお金の価値の方が勝っていて
お金を使う側ではなく
お金に振り回され使われる側に
自分を置いているということです。
病気だとすれば
自分より病気に価値を置いているということに。
ちょっと曖昧な言い方をわざとしてみましたが
自分軸でないものは
全て自分より価値を
上
に置いているってことなのです( ̄▽ ̄)
自分に価値を感じられないのだとすれば
自分の価値を他者に置いているのが理由。
これってただ
上から目線になる
とか
上の立場から横柄に振る舞う
とか
強気で我を押し通して傲慢になればいい
って意味じゃないし、これじゃ解決もしない(笑)
(この思考ですら他人軸)
「ありのままの自分で生きる」
言葉通り受け取るか
言葉が意味するところを理解しているのか
このニュアンスへの誤解とよく似ています。
わがまま三昧好き放題で周りに迷惑をかけて人を利用して生きる
こんな幼稚な発想は自分らしさ、ありのままの自分ではありません。(^^;)
(自由にしたいだけな無責任な生き方)
他人の基準に振り回されない生き方。
これがありのままの自分であり、自分らしさ。
(自由と引き換えに自分の責任は自分で取る)
無責任&責任転嫁は
すぐに他者や外側のせいにする
被害者意識ですぐに自己憐憫に浸る
可哀想な被害者に酔いしれていられる
悲劇のヒーロー、ヒロインになりきれるのも
ぜーんぶ、自分で決めず他者の基準で選択したものだからこそ
自分が選択したものに責任を感じずにいられるようになってます。
自分の責任が取れないから
何かに依存し、自分以外の何かに支えてもらわないと
自分で自分を支えていられないわけなのですが…
他者基準であったとしても
それを選択し決めたのは自分であることにも
とにかく自覚が薄い(^^;)
理由は、他者に価値を置いて振り回されて生きているから。
基準が自分にないからそれに気づくことも出来ないのです。
なぜなら、それが自分のスタンダードで当たり前の感覚だから。
自分のやりたいことや希望することを世間で受け入れられるかどうか?
大勢の人に認めてもらえることか?どうか?と言ったものに価値を置いていると言い換えることも出来ます(*^^*)
批判やジャッジや仲間外れが怖いから自分を出せないような感じ?
(これが責任を取りたくない、引き受けたくない)
常識や一般的な価値観からはみ出さない範疇で自由にしようとするから
自分探しの迷子になったり、自分の人生を楽しめず、常時失敗することを怖れる。
(常に結果に満足することがない)
そうなってしまうと
- 欠乏感を埋め合わせるような生き方
- 欠乏感を満たして優越感に浸れるような生き方
↑マウント合戦、バトル思考、勝ち組負け組から抜けることも辞めることも出来ない。
もちろん、自分の価値観を自分で認めていないと
他者の価値観を認めることも出来ないという弊害も生まれます。
このせいで対人関係でトラブルも絶えません(^^;)
自分より価値を上に置く、下に置くことで
人によって自分の立ち位置でコロコロ態度を変えたり
自分が何者か分からない自分を演じることも多くなります。
強く出れる人には偉そうにする
強い人には遜っていい人ぶる偽善者になる
男の前と女の前で態度が違う
好きな人と嫌いな人で全然変わる
なーんてのもメジャーですが
とにもかくにも珍しくもない、あるある(笑)
(他人軸の人がやる模範的パターン)
感覚的なものを言語化するって難しいのですが
少しでも感覚的なものが感覚で伝わってくれれば
アハ体験してもらえると思います(^_-)-☆