自己受容、他者は自分の写し鏡(自己投影)
心の問題が映し出されている
①自己受容
自分自身が自分として受け入れていない自分
②自分の投影
他者に映し出されるものは自分の内側にあるもの
表現の違いはあれども
どちらも同じようなものです。
自分自身を受け入れていなければ
受け入れていない自分の一部を他者に見せられると
自分を受け入れられないのだから
当然、自身のレプリカを受け入れることなど難しい。
- 受け入れられない自分
- 受け入れていない自分
↑自分が自分のことを分からなくても
他者(写し鏡)がヒントを教えてくれる。
↑ぶっちゃけカンニング(チート)です(笑)
何を見せられているのかと言えば
分かり易いところでは言動や振る舞いですが
突き詰めれば
「心の問題」
これを映し出してくれているというわけ。
他者を介入して映し出されるので
オリジナルな見た目でオリジナルな表現をされるので
自分そっくりそのまんまじゃない。
↑ピンとこないゆえに自分と思えない(認められない)原因
自分自身を受容していない分量が
多ければ多いほど
現実に嫌いな人の分量も嫌い度濃度も比例して登場します。
↑現実は自分の内側(心)の投影
他者を通して見せられているのは
「心の問題」
それも丸ごと!
- 未消化な感情
- 嫌っている自分
- 問題視していない問題
自分のことは良く分からなくても
他人のことは良く分かる。
人に対する批判、否定、酷評したくなるそれが
「自分を知るヒント!」
自分の内側にあるものなのです。
自分が嫌っている自分ってピンとこない人も多いと思いますが
だいたいは
問題視していないとか
問題と思っていないとか
問題と認識していないとか
そんな感じです。
↑無自覚、無意識の理由
(裏を返せばなかったことにするために無自覚、無意識という無視を決め込んで誤魔化し&現実逃避)
そんな状態から
- 問題と認識する
- 問題と気づく
意識することが出来れば
問題はすでに解消したようなものです。
(逃げているから現実に追いかけられまくる)
この視点に辿り着くまでが難しかったりします。
- 色眼鏡でしか見れない
- 感情が邪魔する
- エゴが妨害する
↑点の視点でなく全体の視点で見れば見えなかったものが見えてきます。
心で感じる
心で見る
頭で考えるってことじゃない!
まー正直な話
嫌悪感バリバリの人を
自分と認めるって
きっついです(笑)
自分が麻痺っていればいるほど
どぎついレプリカとして登場しますからね。
自分はあの人とは違うと思ってても
他者から見れば同じように見えてますが(笑)
それは人によって
- 1人かもしれないし
- わんさかいるかもしれないし
- 信じられないようなレベルかもしれない
けど…
それが自分の内側にある周波数そのものの投影です。
(度合い、分量、濃度)
人を変えることは出来ないけど
自分は変えることは出来る
自分が変われば相手も変わる
↑自分の見た目や何かを変えるんじゃなくって
自分の内側を変えることを意味しています。
心の世界を!
自分の投影というレプリカに対して
Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン
自分やん
自分も一緒やん
なーんて気づいてしまえば内側の世界はすでに変わっています。
(自己受容)
ぶっちゃけ自己受容って
認め受け入れるといったニュアンスよりか
自分を受けとめる
↑こっちが感覚としてはピッタリな感じがします。
自分が自分を受けとめてあげれていないから
自分の軸がグラグラ、ブレブレで
自分を支えることが出来ず他人の軸を支えにしてしまうんです。
人に振り回されたり、他者の言動や振る舞いや評価に依存するしかなくなる。
自分の中に支えがないから。
もうこの時点で自分らしさってない(笑)
自己受容すればするほど
自分を取り戻せます。
自分本来の自分に戻れる♩
簡単に言えば自己受容って
他者を通して自分を直視しろ!
現実逃避せんとそれを感じて味わえ!
ってな話です。