自分の投影を理解するのが難しい理由
他人は自分そのもの、って意味じゃない
一番大切なのは。
目の前に映っているのがまんま自分
ではなく
自分の無意識(潜在意識)にある
思考
この思考パターンが映し出されたものが現実(人)
ということです。
家族なんて濃厚で
分散しているように感じても
足し合わせれば自分そのものなのです。
自分の内側にあるものだけが投影されるので
嫌な人ならば
↑自分のどの思考、どんな思考が原因なのか???
って話( ̄▽ ̄)
その思考の分量が多ければ多いほど
色濃くオリジナルで見せられます。
↑自分がやったこと、現在進行形でやっていること。
嫌な思いをさせられるって
被害者になってる場合じゃない(笑)
立場が変わって体験しているに過ぎませーん(´艸`*)
罪を憎んで人を憎まず
↑罪だけ見よう♡
例えば、自分は謙虚で大人しい人だと思っている。
だけど、腹の中ではボロカスに人をこき下ろしている場合
現実に登場するのは
腹に一物を抱えた人物ではなく
あけっぴろげに素でやらかす人物を登場させます。
出さなければいい、って話じゃない。
思考することは行動と同じ。
周囲にバレてはないかもしれないけど、全開で出している(笑)
現実的に出してしまうと損するから大人しくしているだけで
腹の内はド派手にやらかす人と大差ないってことだ。
(脳内でどんだけ冷酷無比な虐待してますか?って話)
幼稚であればあるほど
自分のブラック思考は無視します。
無視するというよりか
当たり前のことだと思っているから気づかないだけな( ̄▽ ̄)
思考を読み解く
現実を自己責任と納得する
人は自分の鏡
↑大人の思考が育っていない、その分量が少ない人には理解するのは到底無理。
否定は全否定、豆腐メンタル、精神疾患な人は可能性は限りなくゼロなので
こんなタイプのために頑張るセッションしたくありません(´艸`*)
お子ちゃまでわがまま、ちょっとでも気に食わないとキレるか閉店ガラガラ~(笑)
↑自分の視点ばかりで、他人の視点で考えるというスキルが育ってませんから。
愛の定義は甘やかし~♡
- 自分のことが好きなら、味方なら
- 何でも言うことを聞いてくれる
- 何でも自分に合わせてくれる
- 何でも自分のペースを尊重してくれる
- 何でも耳障りの良い言い回しで責めない工夫が必要
- 何でも自分が納得できるように言えば言うことを聞いてあげる
- 何でもお膳立てしてくれるのが思いやり
こんなのが自分に敵認定されない定義で当たり前。
子どもなら、何とか許されても
大人になってもやってるとか
単純にま~じでキモイ( ̄▽ ̄)
精神的大人になろうと思える人しか
自分の思考を疑う
自分に問題があると疑う
↑この境地になれない?チャンスが来ない?
ほんまの愛ってなんやと思う?
ここらが分かってくると甘やかしは愛じゃないと気づけるようになる(笑)