引き寄せの極意! 「足るを知る(感謝)」
ベクトルを感謝に向けないと、自動的に認識できるほど訓練されていない
引き寄せの法則って、欠乏感が一番の天敵!
「欲しい」「もっと」「足りない」
この思考がコマ送りで現実が再現されてしまうので…
一番のベストは「何にもないけど幸せ♡」なのですが
この状態に持っていこうと思えば
何はともあれ
足るを知る!
ことです(*^^*)
勘違いされがちな言葉なのですが
足るを知るとは
身の程をわきまえろ
とか
妥協しろ
とか
って意味じゃありません(笑)
感謝ってね、私たちは習慣化していません。
なので意識的に「見る」こと「感じる」ことをしない限り
常に欠乏や不満にしかフォーカスしないようになっています。
習慣化するまで訓練するしか方法はないです。
ちょっと意識して楽にクリア出来るほど甘くない(笑)
足るを知らないとは言い換えれば
ただの傲慢!!!
(または無知?)
足るを知る者は富む
と言われるように傲慢になっては
富めるものも富めないってことです。
視野が狭いと、財布の器サイズも大きくならない。
感謝したくなるようなことが雪崩のように起こる
いわゆるブレイクスルーは
感謝(豊かさ、幸せ、喜び)の波動を出すからこそ
その波動に見合った現実を味わうことができるのです。
(タイムラグがあるから後から付いてくる…先出ししないと受け取れない)
今、貧乏でも不幸でもそれは一切関係ありません。
自分の心の状態がどうであるか?
在り方そのものが反映されるだけです。
感謝=愛
感謝が単なる快楽由来のものは
偽物の感謝です(笑)
感謝は内側から起こる(自発的に感じる)もので
外側から起こる(自動的に反応する)のではない!
この足るを知るですが
感謝に限定されずに自分自身をよく観察してみると
色んな「足るを知らない」自分が出てくると思います。
主にエゴ由来の思考や言動になりますが…
エゴって実に面白いのが
どうでもいいようなものには簡単に満足(安心)をし
拘らない方がいいものにこそ執着して満足(安心)したがる。
寧ろ満足(安心)しない方がいいものに価値を置き満足(安心)をする。
そして、満足(安心)しておかしくないものに満足(安心)しません(笑)
(ド近眼?ド遠視?ド乱視?とにかくピントがズレてる)
↑これを理解し、知ろうと思えば
自分自身をよく理解するしか方法はありません。
他人をよく知っても
自分自身をよく知らなければ意味ないからね。
(自分が投影されたレプリカから自分に返すのが一番手っ取り早いけど)
自分を把握できていないと
何を考え、どんな思考をしているのかも分かりません。
(感情(波動)は思考によって生まれます)
都合の良い言葉と
都合の良い解釈
終始一貫してこれに尽きるので
自分を過小評価し自己責任の概念もない。
あっても薄い。
足るを知らない自分を知るだけで
エゴの暴走を止める手綱を持てます!
(自分(エゴ)に打ち勝つには自分を知らないと無理)
子ども感覚を引きずったまま
・成長していない
・躾をしていない
・訓練していない
・大人になりきれていない
そんな自分が自分の足を引っ張り首を絞めている…
エゴの自分を超肯定し
現実を何様レベルで否定している
↑周りの登場人物がイヤなほど見せてくれている
(類似点や共通している症例や症状を)
この足るを知らない自分を知った時には
心の中でジャッジしたり責めたりしている人物に対して
「自分だ!」
現実に対しては
「波動をまき散らしているのは自分だ!」
と、アッサリ認めてしまうほど効果絶大です(笑)
あなたの現実はあなただけのもの。
つまり、自分の現実は自分以外の誰が創ったものでもない!
と、知ってしまうから( ̄▽ ̄)
逃げ道もなければ
言い逃れすら出来ない。
観念して認めるしかなくなる。
足るを知るを知らないとは
知らぬが仏や無知の知ともよく似ています(笑)
公明正大における厳しい審美眼を発動して自己ジャッジを(´艸`*)
ぶっちゃけ感謝が出来ないのは
・誇大自己アピールしか興味がない
・エゴを肥大させるのに忙しい
・ゲスな自己中に心酔している
・勘違いナルシスト
・特権意識が強い
・実力の伴わない完璧主義者
↑このフィルターを強化してきたのが原因です♡
(認知の歪み)
自己擁護や自分が損しないための謙虚なフリをしても
法則は騙せません!
足るを知る本物の謙虚さが求められます♩
遠慮と謙虚は違う( ̄▽ ̄)
欲を失くせ、捨てろって意味でもないよ?
欲望(強欲、貪欲)はいらないけど
心からの欲求は適切です♪
足るを知らないから
感謝が出来ない
と言うことに繋がってるよ~ってこと(*^^*)