登場する人物のイヤな振る舞いはすべて「自分の鏡」そのもの!100%完璧な再現性
「人は自分の写し鏡」説を受け入れるのは抵抗が強いほど難しい
- 人の振り見て我が振り直せ
- 人は自分の写し鏡
- 鏡の法則
- 投影の法則
- 自己投影
どれも同じような意味合いです。
自分の良い面を映し出されたものに関して
嫌悪感
これを抱くことはないと思いますが
- 自分が嫌っている自分
- 見たくない自分
- 受け入れたくない自分
- 認めたくない自分
ともなると嫌悪感は簡単に起こります。
あまりにも相手にそれを見せられすぎると
拒絶や生理的に受け付けなくなるほどまでになることも珍しい話ではありません。
なんでそんなことになるのかと言えば
- それがどんな自分を映し出している鏡なのか?
- 自分のどんな姿が他者に投影されたものなのか?
と、いうことに対する認識や自覚が薄いからなのです。
全くの無自覚なんてこともあります(´艸`*)
往々にして、人は自分の一部を見て
過大評価したり
過小評価したり
するものですが、見事に都合よく使い分けします。
人は自分を映し出す鏡と言いますが
自分と似たような欠点を持ち合わせている相手に関しては
そこまでの嫌悪感を抱かないものです。
ところが、自分には持ち合わせているように思えない相手ともなると
ネガティブな感情を抱かずにいられません。
例えば…
ありえないような振る舞いをする人を目撃した場合。
すでに「ありえない」と思える時点で「ありえない」のです。
なぜなら、自分はそんな振る舞いをしないから。
↑この視点で観ている限りは何の学びにもなりません。
「人の振り見て我が振り直せ」
言葉通り解釈するものではないということです。
スピリチュアル的な物って質が悪いのは
抽象的で抽象度が高い!
あまりにも具体がなさすぎて抽象度が高すぎるのです。
深掘りしない限り「アハ体験(悟り)」は起こりません。
もしくは薄々気がついているけど見逃している何か。
これをいいように自分に言い聞かせたり解釈しているものを
「直視」することによってしか「鏡」を見破ることは難しいのです。
以前こちらに紹介したことがある内容ですが
一部を抜粋ですが、これこそが見事に具体的に表現してくれています。
バシャール:他人。自分のフィルターを通して彼等のバージョンの”貴方”を映し出し、貴方に見せつけてくれます。
貴方以外の”存在”がいてこそ、貴方という”存在”が生き生きと生きてゆけるのだと、バシャールは話します。
「貴方の波動を受け取った彼等は、自分のフィルターを通して彼等のバージョンの”貴方”を映し出し、貴方に見せつけてくれますが、ここで誤解しないで欲しい事は、彼等の個人的なフィルターを通してやってきた”情報”が、常に貴方を100%表現しているわけではないという事です。
彼等のバージョンの”貴方”とは、イコール貴方の波動内にある”類点”を拾い集め、その”接点”を映し出した事によります。よって、彼等のバージョンの”貴方”とは、彼等の波動で創られた”貴方”であって、彼等そのものの波動を”貴方”といいう型を借りて表現しているだけなのです。
ですから、貴方を批判する人は、その人本人に批判材料が根付いている事を意味しており、貴方と接する事でその波動が浮き彫りにされてしまう、というわけなのです。
自己受容したその後は、相手に自分が投影されていたものが
- 見せられなくなるか
- 気にならなくなるか
と、なるわけですがその理由は…
あなたがまだ彼らとの関わりがあるとしたらそれは別バージョンの彼らと関わっているということなのです
あなたは人を変えて関わっているのではなくすでにその現実の領域にいる他のバージョンの彼らと関わっているということなのですこれらすべてのパラレルな現実はすでに存在しているものなのです
あなたの世界を変えるということは実際あなたの世界を変えるという意味ではないのです
それは、ある一つの世界を離れてもうひとつの世界へ移るということなのです
波動が変わり
出すもの(種)が変わり
受け取るものが変わる。
これだけのことです。
引き寄せの法則で言えば
- 受け入れたくないもの
- 嫌っているもの
- 拒絶しているもの
- 起こって欲しくないこと
↑などにエネルギーを注いで強化すればするほど
現実化させてしまうというカラクリと同じ。
思考×感情×行動が変わらないと
現実は1ミリも動いてくれないのは
キープしている状態をキープしたままだからと言えます。
(いつも似たり寄ったりのことを考え、ルーティン行動を繰り返している)
ちょっと話がズレそうになったのでここらで戻しますが。
自分の鏡は貴方を100%表現しているわけではない
(似ている人は気づきやすく、自己受容しているから気にならないetc.)
自分のフィルターを通して彼等のバージョンの”貴方”を映し出し、貴方に見せつけてくれます
つまりココを見ろ!って視点が
- 類点
- 接点
というわけです。
彼等の波動で創られた”貴方”
自分と相手は違うけど
自分が持つ「類似点」「共通点」をベースに
相手の個性・オリジナル・傾向として
手を変え
品を変え
形を変え
着ぐるみを変え
見せられている♡
というわけです(´艸`*)
↑これって、ほぼなぞなぞだ(笑)
ぶっちゃけ相手を
- 批判(ジャッジ)したり
- 非難したり
- 指摘したり
- 文句を言ったり
- 怒りをぶつけたり
- 感情に訴えたり
- 理解を求めたり
- 説得したり
- 拒絶したり
- 仲間外れにしたり
- 無視したり
- 忌み嫌ったり
- 距離を開けたり
- 環境を変えたり
やっても無駄ということです。
(相手に向けているようで、自分に向けたものになる)
自分が出すものを変えない限り
自分の鏡に映し出されるものは変わらないのだ。
拒絶すればするほど見せつけられ
押せば押すほど拒絶される
(立場の違い、裏表の真理)
人にかまけている暇があるなら
自分を振り返り、相手との「類似点」「共通点」探しに没頭する方が賢明です。
気づけば…
・行動を変えない → 気にならない
・行動を変える → 見せられない
このパラレルに移行します。
最近ニュースで取り沙汰される
信じられないことをする人たち
戦争
なんてのも、自分の鏡を映し出されているものなんですよね~(笑)
「類似点」「共通点」って本当にもう
お手上げなほど盲点だったりします(笑)
思考捏ね繰り回してそれを導き出すよりも
シンプルに「括り」で照らし合わせる方が早いです♬
驚くほどバカバカしいほど限りなくシンプル。
気づけば秒で変化します(^_-)-☆
それは現実だったり、相手だったり
世界に自分一人
登場人物は自分のレプリカしかいないということです。
あの人みたいに酷くはないけど、あの人とは違った酷い面も持ち合わせている
(自分のことを棚に上げている限り気づけない)