イヤな人、嫌いな人って…どの自分を見せられている?
自分の類似点、相違点、共通点が同じ
自分自身が相手とよく似ていると自覚出来るものって
相手に対してそこまで嫌悪感は持たないものですが
- 自分はあんなことしない!
- 相手ほど酷くない!
- 自分の方がマシ!
- あれが許せない!!!
↑こんな風に思ってしまう相手の場合は違う( ̄▽ ̄)
積み重ねて見せられれば見せられるほど
嫌悪感爆上がりしていくわけですよね?
- 生理的に受け付けない
- 顔も見たくない
- 一緒の空気を吸いたくない
- 声も聞きたくない
- 同じ空間にいるだけで虫唾が走る
- 関りを持ちたくないとか
etc…
さてさて
何を根拠に相手をジャッジしているのか???
それって、今の自分との比較ですよね?
今は出来るようになった or 出来ている自分
今は改善された or 努力して自分を変えた
そんな自分との比較。
つまり、何を見せられているのかを端折れば
過去の自分
過去に自分がやったこと
↑これが返ってきている( ̄▽ ̄)
いくら今の自分を基準にしても
意味がないわけです。
- 乳児期
- 幼少期
- 学童期
- 思春期
- 若い頃
↑このどれかでやらかしている自分
これを相手を通して見せられているということです。
やったことが返ってくれば
自分は必然的にされる立場になってしまう
(これが法則)
当時、視野の狭い思い違いで
相手を悪者にして困らせたり苦しめたりしたのです。
この思考に決着を付けないまま
放置…
↑これが年月を積み重ねた結果が時空を超えて返ってきている。
なかなか軽い現象だと見過ごしてしまいがちで
成長していく段階でも相変わらずやる側で
相手の気持ちや視点を無視したま~んま、ということ。
それが返ってくればきたで
自分だけがどれだけ大変な思いをしているのか
と、被害者意識から被害者のポジションを取っている自分。
自分のことは棚に上げたまんま
この思考を修正しよう(笑)
修正すれば投影するものがなくなるので現象は消えます!
例えば…
自分にとってイヤなことを言う人の
言うことは聞かない!
と決めた過去の自分。
自分が嫌なことを言う立場になれば
当然相手は過去の自分なので
「何を言っても言うことを聞いてくれない」
これを見せられるってこと( ̄▽ ̄)
※ダメなことだと分かるということは
ダメを知っているということ。
それなのに過去の自分は別格扱いにして野放ししてているということ。
ホンマに嫌なことを言っているのか???
自分のために言ってくれていることが理解出来ないと
イヤなことを言う人認定でしか見れませんよね?
(実は相変わらず現在進行形でもやらかしてるけどね)